top of page
検索

白い聖堂19雑感/ヴェガの光と「水晶の守り人」



こんにちは。いつもありがとうございます。

これは、「聖堂19回」の前日の空。龍雲のような、うねりながら立ち昇る長い雲や、筋状に拡大して解放されていくような線を無数に描く雲が見えていました。


聖堂19の実施報告シェアメール、昨夕に参加者にお送りしていますので、ご確認お願いします。^^


「白い聖堂(シャンバラ光の学校)」は、5次元スペースを拠点に時に6〜7次元へと持ち上げられながら、私たちのライトボディやソウルシステムに、ライトワーカーとしての必要な施術や活性などが行われるイニシエーションでもあり、学びの場でもあります。


これまでの全19回の主だった内容を一覧できるページも作りました。


今回は、「しとしとと冷たい雨が続く」ような癒し・解放・浄化がつづいた季節(マンスリーイニシエイション、石ラボも絡みながら10〜11月」を抜けて、セラピスベイの「雪の日の朝」のような静けさと清まった空気感が、新ワーク「エターナルノット」をリリースした9日〜翌日の聖堂当日で、未来的なオクターブと意識の刺激へとステップを進めて、清々しく霧が晴れた。という、10月上旬からの2ヶ月くらいの全体像が見えて、ひとまずの区切りを感じました。


もちろん、区切られたってまた次のサイクルが始まるのだろうけれども。。。笑 

「エルたちの器」あたりから、「白と黒の闘い」だとか「イシスからのリリスの発祥」などの、ディープコアな話題が続いていたし、その二つのテーマは関連しあっていて、イシス(ほぼイコール「純白マーラ」)の歴史の浄化でもあり、レムリアンセイクレッドレイキ「大地のサナトリウム」の3つの光線にまつわるカルマ解き(人類全体という意味ではなく私たちの範囲内の)の、「桃色」「レモン色」と続いて、最後の(セイクレッドレイキ改訂リリースに付随する)宿題だったので、避けて通れないクリアリング、学びのステップだったと思います。そんな宿題をもらっている事は自覚などしていなかったけれど、結果として。


それが、こうしてご縁の方々とグループワークという形で体験し、ジェネシスストーリーが紐解かれたり、新たなケーススタディやメソッドへと導かれたり、そしてまた一方では、石ラボメディテーションを通じてその同じ課題を地鎮や集合意識フィールドにまつわるワークとして、実践していく・・・そして勿論、それらの機会が自分たちの癒しや解放や成長、そして現実創造に反映されていくという完璧な歯車の噛み合っていく様子に、いつも静かに感動し、合掌・・・しています。笑


毎年の時節的なサイクルで言うと、3月辺りに自然界の春の芽吹きとともに女神的な開放感が来るのですが、今年は少し早めに、次のマンスリーイニシエイション(1/14)でハトホル、アフロディーテのワークが入ります。その傍で恐らく、正式なワークとしてリリース出来た「エターナルノット」が、「白い雪景色」のシーズンとして、活躍してくれるのではないかと思っています。両輪で、雪の浄化と春の気配をともに回しながら。


そんな中で、次回 1/28に配置されている「白い聖堂20」はどんな展開になるでしょうか。楽しみに感じていきたいと思います。少しいつもよりも間隔が空きますが、ご縁がありそうだと感じる方、今回は参加してみようという新しい方はぜひ、ご検討ください。


第19回で印象的だったことを2点。

まずは、上記のとおり「しとしと雨」が「雪景色」になって落ち着き、静かに清らかに晴れた。世界が刷新されるような、未来を生み出していく光の照射。ヴェガのテクノロジーがワークの中にも感じられました。とても清々しく、その分、光が強いために「さあ、現実を創造していく道筋、高い山の頂きが見えるが・・?まさかあそこへ登れと?」と、ちょっとそんな気分にもなる(気後れする)ような、光や波長を体感しました。実際に、当日を過ぎてからの意識の開け具合からも、現実とのすり合わせ、調整は、時間を掛けなくてはと感じています。ゆっくりと、踏み固めるように。


もう一つ、ウラルのような山と湖と湿原の風景と、古代の部族民「水晶の守り人」たち。を今回見ていたのですが、この件は、「世界樹メンバーズ」の記事で書いたイシスや純白マーラの源の話とも繋がっているようで、代々、ウラルを遠く望む地に住む部族民たちが、時折「石に呼ばれる」と、湖をいかだで渡って山に入り、必要な水晶を取って戻ってくる・・そんな世界観。その人々が語る内容として、


『神々が人間を裁くのは、人が傲慢になった時』

とのこと。

争いや破壊が起きているからではなく、豊かになったり社会が成熟したその先の人類が、傲慢な心で居ると、人類の親である高次による裁きが起きる、という意味に受け止めました。まるで「十戒」のようですが、アリス・ベイリー著書でのジュワルクールの言葉も思い出させました。神界の視点からすると、「破壊」もまた創造のエネルギーの一顕現である、それは闇とは違う、というような。(記憶で書いているので少し言葉は違っていたかと思いますが。。)


故に、高次にとっては人類同士が争いあっていてもそこは静観、なのかもしれない。けれど、人間社会の心が傲慢という状態で染まってしまった時に、太古から、なんらかの巨大災害を起こして、リセットを必要とした・・・アトランティスでは4回の巨大な天変地変があり、その都度壊滅状態からまたやり直しているようです。


では、「傲慢」とはなんだろうか?と、それ以来考えています。

辞書を引くと「高慢」と同じような意味合いで出て来るのですが、インド哲学や仏教だと、色々な種類の傲慢が確か、語られていたと記憶しています。ヨーガ・スートラを紐解いてみようかな。仏教をやっていた時、「自分はこのくらい出来ている」と修行者が安住するのは、傲慢の一種というような話を聞きました。孫悟空がお釈迦様に諭されるシーンのような。


それとも似ていて、一般の人々の心の中にも、辞書で見るような強い「傲慢」ほどではなく、もっと静かな傲慢が、たくさんあるのかもしれないと思いました。例えば、差別主義や先入観で人を裁くことなども。また日本人の島国根性なども、今の国際社会、グローバリゼーションの中では傲慢のひとつと言えますし、怠惰は勿論のこと、事なかれ主義や、日和見主義だって、ある意味で傲慢と言えるのではないでしょうか。

・・と、聖堂19以後、そんなことを考えていました。


その意味では、10月あたりからの深く掘り下げた浄化、セラピスベイでのピュリフィケーションの洗礼は、そのような類の私たちそれぞれの「静かな(無意識の・内在的な)傲慢さ」を、許すまじ・・というような、勢いだったと思います(笑)。目を覚まさせられた、それゆえの「刷新」で、新たなステップを踏んだ、という流れとして、理解できました。


ではでは、このくらいで。

Love and Grace


世界が平和でありますように。

平和を失った世界の各地に、平和な日々が戻りますように。

Heal the World.

Amari

Commenti


bottom of page